RADIO HAAFUU~愛と礼儀!涙と感謝!

M-1グランプリナレーター畑中ふう、ミュージシャン打越元久、クリエイター大西がお届けするRADIO HAAFUUブログ!

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9/20(金)「テーマカラーの問題」

サイトを準備するのに何が難しいってテーマカラーですよ。
色にはイメージがありますし、それで印象が
だいぶと変わりますんでやはり慎重になります。

例えば赤地に黄色い曲線がついている「マクドナルド」
→個人的な印象として『食欲増進』。
水色に白いストライプ、差し色はピンクの「ローソン」
→同じく『清潔で優しい』。
緑色、白色、紺色で構成された「ファミリーマート」
→同じく『自然由来と安定感』。


・・・みたいな。

ハーフーは最初白地にレンガ色だったんですが、
もうちょっと力強さとか熱っぽさを出したいなと思い
反転させました。
結果、レンガ色ベースに白色、差し色をオレンジに。

haafuusite

個人的にこれはかなりハマった感じだったんですが、
来年に向けて爽やかさを出したいなと。
色々、考えました(まさに色々)。

で、結局、また反転させて最初の白地にレンガ色に戻して
余計なものを省いてシンプルにしてみようかなと思案中です。

白地は自由度が高いのですが、バナーなど他の色が
立ち過ぎる嫌いもあるので・・・。

難しいけどええ感じにやってみようと思います。

テーマは清潔感と爽やかさ!(あるんかい!?・笑

【最近更新したブログ】

RADIO HAAFUU反主流』Vol.325「我々らしい『やり方』があるはず」

打越もとひさの携帯日記』大学時代のOB会

障碍児の娘が教えてくれること』解ってやってるんちゃうん!?

へなへな日常描画劇場!』どっちの問題?

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  1. 2013/09/20(金) 14:36:00|
  2. 品のある本音
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今日のお知らせ・5/2(水)

ゴールデンウィーク谷間でございます。
いかがお過ごしでしょうか?

ゴールデンウィーク前に「インプットを求めるんだ!」なんて
言うてました大西は帰省したりボーリングしたりしてました(笑
全然インプットしてない驚愕の事実☆

さて、明日からゴールデンウィーク後半!
コチラのイベントでインプーット☆

『第8回マリンスポーツフェステイバルin淡路島』

ゴールデンウィーク恒例、淡路島で打越さんが
スタッフとして関わっていますボートイベント!

■日時■ 2012年5月5日(土)
     午前9:00~17:00
■場所■ 兵庫県南あわじ市神代・浦壁大池

詳細はコチラからどうぞ!


『長居植物園 スプリングフェア2012』

畑中ふうがステージに登場します!
読み聞かせ&サーチライツライブを♪

■日時■ 2012年5月6日(日)
     ①12:40~13:25 ②14:15~15:00
     (時間は変更になる可能性があります)
■場所■ 大阪市立長居植物園 芝生広場
■入園料■大人200円 中学生以下無料

大阪市立長居植物園サイト


5日と6日はお天気も良さそうなのでブラッとどうぞ~☆

【最近更新したブログ】

らじおふう3rd』しゃかまどラジオVol.4「痴漢、絶対アカン!」

へなへな日常描画劇場!』★『Recipe』神戸の情報誌

打越・ふうの携帯日記』は随時更新!
  1. 2012/05/02(水) 12:16:33|
  2. 品のある本音
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人間の性格は子供の頃に既に・・・な体験

今朝、事務所にくる途中。
自転車の1台は、お母さんと小さな娘が後部シートに。
もう1台には小学低学年らしき女の子。
そしてキックボードで伴走する、これまた小学生の女の子。

歩いている僕の横を軽快に駆け抜けていったのだが、
その1、2分後。
キックボードの女の子が転倒したらしい。

それを横目に僕は歩いていく。
「大丈夫か?」という雰囲気があって、
少し泣いていたような感じも。

そして、自転車に乗っていた女の子がキックボードへ、
転倒した女の子が自転車に・・・となって再出発。

「こうなる思てたわ。うちも前、そやったもん」
とは、自転車を引き継いだ女の子。

転倒した女の子が自転車に乗った、その時、
お母さんの後部シートの女の子が「大丈夫?」と声をかけた。

あらぁ・・・
性格が分かれるのね・・・。

この一番小さな女の子は、優しい子なのね。
もちろんキックボードも引き継いだ子も・・・なんやが、
この子はちょっと勝気なのかね。

転倒した女の子は、特に騒ぐでもなく、
少しの悲しさを漂わせながら自転車をこいでいった。

ちょっとした出来事に現れる性格。

親は、それをずっと見続けていく。

それが愛おしさにも繋がる。

児童虐待が増えた1年。

こんな、ちょっとした性格を見つめてあげることができればなあ。

子供のいない僕ですが、そう思う。

  1. 2010/12/27(月) 14:14:39|
  2. 品のある本音
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いつまで謝り、誤り続けるのか

日韓併合100年・・・首相談話・・・謝罪・・・
「多大なる損害を与えた」・・・

もう勘弁してくれ、いつまで謝り続けるるん?
というのは、真っ当な感情です。

「日本の戦争責任」とはいったいどういうものなのか?
こんなことを書くと、むちゃなんか言われそうな話ですが^^;
少なくとも僕には整理しきれてないなあ。

「そういう考えを持っている者がまだまだ多いから
 相変わらず日本は謝り続けなければならないのだ」

ということなんやろか?

とにもかくにも「負けた」からどうしようもない。
勝っていれば問題なかった・・・と思うのもおかしな感情ではないでしょう。

少なくとも「負け方」が悪すぎた・・・と僕は思っています。
色んな場面、局面で判断を誤りたおした。

そのことを整理しきれないで、外国への「戦争責任」ばかりを
取り沙汰されても、中々納得はできません。

要は、我々は歴史を知らなさ過ぎる「お気楽」さんのようです。
かく言う僕も「お気楽さん」でした。
でも、もう「お気楽」ではいられない。
だから「お気楽ゴン太」のCMは遠のいてしまったのか・・・関係ないやろ^^;
いや、強ちそうともいえないぜ。

【韓国の併合について】
1910年、韓国を併合。
それまでの韓国は李氏朝鮮が支配していた。

あの頃・・・に限らず、ずっと以前から・・・。
朝鮮は清国の影響下にあった。
有体に言えば、「属国」だったとも言える状況のようだった。
そして民衆はかなり貧しく、酷い暮らしを強いられていたようだ。

300年に渡り中国を支配した清国。
ヨーロッパ諸国が産業革命によって、清国にもやってくるようになったら
結構、ええようにやられていった。

そもそもヨーロッパ人は、富を得るために世界を植民地化していった。
今も昔も、彼らの考え方、やり方は変わってませんわ。

彼らの目的は「富」である。それも限度がない「グリード」である。
そして神に懺悔することで、その罪から逃れられるという真に勝手極まりない話。

簡単に言うと「酷い」「無茶やで」てなことを腐るほどやってきた。
アヘン貿易の真の意図は?
どう考えても清国を貪り尽くす、てことやったやろう。

今も変わらない。貪られようとしているのは、我が国です。

ロシアも北側から虎視眈々と狙ってました。
こんな状況下に朝鮮はあった。

そない難しい想像ではないと思う。

「冊封」と書いて「さくほう」と読む。
僕なりの解釈で申し訳ないが、中国と周辺国との
安全保障的なものであるようだ。

李氏朝鮮もそのひとつだった。
清国へ朝具し、中国の元号を使い、時に出兵を命令され、
時に中国に守ってももらえる・・・。

日本は朝具をしなかった。だから怨まれてきた?^^;
そして、だから、日本は「野蛮国」とされてきた・・・ようだ。

こんな状況下で、李氏朝鮮の王室は・・・

民衆のことよりも、自分たちのことばかりを考え、
贅沢に暮らしていた、のほほんと?守旧的に?
いずれにせよ朝鮮民衆をええように支配していた。

「奴隷社会だった」ということを記してあるものもある。
強固な身分制度、現実に沿わない外交・内政が行われていた・・・ようだ。

そんな朝鮮に対して日本は「独立と改革の推進、東洋の平和」を唱える。
清国にしてみたら「そんな勝手なことは許さん。朝鮮はわしらのもんじゃ」・・・。

日清戦争で日本が勝利。
陸奥宗光は「朝鮮半島における清国との権力闘争」と後に回想。

清国が破れ、朝鮮の「冊封」も解かれる。
そないなったら、ロシアがやいやいちょっかいを出してきた。
日本とロシアの対立。

親露派、攘夷派、親日派とに別れ混乱。
妨害を受けてきた親日派だったが、日露戦争で日本が勝ち、
朝鮮内での親日派が勢いづく。

その後、日本による朝鮮の保護国化→併合へと進んだ。

そない難しい想像ではないと思う。

その後、朝鮮は近代化されていく。
かなりのお金が投資されていく。

ヨーロッパを見習った日本。
明治維新を待たなくとも、既に近代的だった日本。

明治維新以降、加速度的に近代化を進めた日本。
清国や朝鮮とのレベルの差が、後の「判断の誤り」を助長させていった・・・なあ。

ヨーロッパに負けないようにしなければ、
我が国も植民地化されてしまう・・・という
危機感があっただろう。

併せて、欧米列強と方を並べたい、並べるくらいの国力がある、
そう考えても不思議はなかったと想像できる。

だから欧米の真似事で失敗してもうたんや。

東洋は、とにもかくにも中国が中心で動いていたのは間違いない。
中国に憧れ、脅威を感じながら、大陸から離れていたために、
飲み込まれることもなく独自性を持つことができた。

それでも、長きに渡り、中国が中心であった。
その中国がヨーロッパにええようにやられている、
そんな状況を見れば、そらね、「えらいこっちゃ」となるわな。

その時、中国を助ける、いや、「矢面」に立てて立ち居振舞う、
なんてやり方もあったかもしれん。

しかしそれも国力をつけ、今や列強にも伍するくらいになった日本が、
中国に諂うなんてことはできん・・・という感覚・・・
自覚的であれ無自覚的であれ・・・そらあったわな。

プレッシャーを感じずにはいられなかった2000年。
その重しが近代化によって外れたと感じたら・・・
そらね、羽を伸ばす。

朝鮮に実情も目の当たりにしてきたから、
思いは「君とこも、うちみたいになろうや」てな。
「そのために応援したっさかい」てな。

朝鮮も「ほんまかいな。確かになあ、うちもこのままでは・・・
でも、あんたを信用して大丈夫なんかいな?」

「当たり前やがな。独立しい、自立していき!
 ほんで一緒に頑張っていこうや」

てな。

ところが、今度は中国に変わって列強のプレッシャーが。

「やば。こら甘ないわ、こいつら。どないしょ。
 そや、彼らが成功してきたやり方をやるしかない。
 国力とは領土の広さや!」てな。

外国を支配慣れしていない、そんなスキルをまだ習得していない、
そんな日本がヨーロッパ人のやり方を真似たら、全然違う方向へいってもた。

島国の悲しさよ。
井の中の蛙でしかなかったということか。

そしてその失敗はバブル崩壊と結末によって、繰り返された・・・。

「ジャパン・アズ・ナンバー1やてぇぇ」
「あの戦争の仇を討ったったでぇぇ!」

と思って浮かれていたら・・・ど~ん!

原爆か!
恐ろしいくらいの経済崩壊は、
まるで目に見えない爆弾を投下されたような・・・
いや、きっと投下されたのだ。


「あの戦争の責任」は、
「あの失敗」を我々がキッチリ検証し、「もう過ちは繰り返さない」
の本当の意味を手にしない限り、自らに問うことはできないように思う。
外国に向ってのみ「謝罪」を繰り返す行為を変えることはできないと思う。

それこそが日本人だけなく、
多くの犠牲を払った人々への無責任な考えではないやろか。











  1. 2010/08/19(木) 14:05:09|
  2. 品のある本音
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セレブ・・・

歴史家、ダニエル・ブーアスティン・・・誰や知りませんが
・・・の1961年の著書「幻影の時代~マスコミが製造する事実」の中で、

「セレブとは、有名人であることで有名なだけの人物」
と定義しているそうだ。


そしてそれを「アメリカの退化を示すもの」の一つと論じているそうです。

「アメリカ人が現実そのものより現実のイミテーションを好み、
 中身はなくても、あるフリをすればいい」と考え始めた時代・・・ですと。

さらに!!
ここからがおもしろい。

「ひたすら宣伝目的のみで行われる記者会見や写真撮影会、
 映画の特別上映といった仕掛けを『擬似イベント』」と呼んだそうです。

なんか、思い当たる節がある・・・

で、この場合、「セレブは歩く擬似イベント」であり、
売名行為でスポットライトを浴びる空しい存在・・・ですと

で、この話は昨年のNewsweek12/23号の記事のひとつであります。
記事では、この後「もっと新しく、もっと好意的な定義」を展開していきます。

いわく、
「今のセレブは、かつて古いメディアが果たしていた機能の多くを
 新しいやり方で担っている」

「時に現実から目をそらすとか、人間の弱さに目を向けるとか、
 みんなの一体感を生み出すような共通の経験を提供するといった機能」

として、今のセレブがあると。

ふ~ん

で!挙句に!

「セレブは21世紀の偉大なアートの一形態と言えなくもない」

わからんわ~・・・セレブがアート

アートかどうかは別にして、
読み進んでいくと、どうもこういうことみたいです。

つまり、

セレブになれるのは、生き様に物語がある人たちで、
その物語とは、波乱に満ちた人生、成功も家族との不和も奇行も、
美容整形も薬物使用も、そしてその死でさえも・・・。

「その私的な行動で『私達』を楽しませてくれる」のがセレブ・・・。

しかもその「ショー」は銀幕や舞台の上でなく、
人生というメディアで演じられ、それを別のメディアが広める。
メディアあってのセレブなのだ・・・

理解できます?

「厳密に言えば、セレブと呼ばれる人物に物語があるのではない。
 共演者を含めたセレブという現象自体が物語なのだ」

つまり・・・と書きながら、
全然「つまり」に要約できん

「今や彼らの私生活自体が大きな娯楽対象なので、俳優であることは
 単なるおまけになったという人がいるかもしれない」

このでの「俳優」とは、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーのことである。

さて。
こららの分析は今の日本にもあてはまりますわな。

芸人も私生活を切り売り・・・暴露ネタ・・・してたりすますが、
そこに「物語」がまだないのでセレブにはならない。

しかし芸人がセレブになんてなってしまったら・・・

大阪人としては、ちょっと吐きそうになるかも。。。





  1. 2010/07/30(金) 16:23:15|
  2. 品のある本音
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政治の姿はどうあるべきなんやろか?

7月19日産経新聞朝刊「単刀直言」での
与謝野馨「たちあがれ日本共同代表」(共同なんや・・・)の
幾つかの発言より・・・

●民主党の国会運営は荒すぎた。自民党が多数を占めていたとき、
 野党の言い分を十分聞いて採決した。

そんな印象あんまりないけどなあ。
強行採決シーンばかりがメディアで目立ち、目立たせ、
「丁寧な国会運営がなされていた」という印象がない。

「丁寧な国会運営」とはすなわち「退屈な国会運営」ということか。
居眠りができるような、ということなのか。

●民主党はオーソドックスに自民党や公明党に政策協力しよう、というのが
 一番、国民のためだよ。

いろんな綱引き、我田引水、相手にアドバンテージを与えない・・・など、
「国民のため」に政治をやってるようには全く見えんわな、確かに。

特に民主党政権になって、与党慣れしていないからといういい訳か、
なんや知らんが、「自分達は正しいことをやっている」と、
自己弁護が目立ったよなあ。

国民を、野党を納得させる、説得する、なんて演説や言葉は聞こえず、
「いや、わしらは正しいねん。自民党がおかしいことばっかりやってきてん」
てな話ばっかりやったように思うなあ。

しかし「国民のため」とは、そこに「国家ありき」という意味で
与謝野さんはいうたはるんやろか?

とにもかくにも「国なくして国民なんてありゃせん」のは
間違いないはず。国民の前に市民があるはずもない。

「国家・国民」というものを、今一度理解せんと、
結局、大衆迎合な政策ばかりが目だってしまうと思う。

●みんなの党は政策に整合性がなく、実現可能性はほぼゼロに近い。
 票目当てのデマゴーグだ。あれが日本流の考え方だとしたら、
 日本国は間違いなく滅びる。

テレビではっきり言うて欲しい。で、議論になればいいのに。
「デマ」なのか、そうでないのか。
でないと僕にはよう分らん。

ただ、渡辺代表の語り口、「アジェンダ」だの、言い切り型だの、
あれは「怪しいぞ?」と感じたりはするなあ。

短い言葉で言い切るのは国民には届きやすい・・・いや、誘導しやすい、
なんてマニュアルがあり、それを取り入れての語り口のように思う。

小泉Jrだのというのは、親の影響か、実はさほど深く考えないタイプだからか、
あの言い方が様にはなっていて、こいつはひょっとすると飛とたらしの才能が
あるタイプなのかもしれない、と僕は疑ってます。

ま、政治家にはそんあ才能も必要だとは思うので、
彼がリーダーになるのなら、優秀なサブが必要、いや、かなり優秀な
人が側にいてくれないと危なっかしくて仕方ない。


政治家に豪腕を期待しますか?優しさを望みますか?

政治家の特性とはなんやろか?

ある意味「詐欺師的」に他人を翻弄できる能力もいりそうやし、
実直さ誠実さもいるやろうし、強引さも、胆の据わりもいる・・・
かなりの多重人格者でないと務まらん・・・?

色んな意見に「配慮」しすぎて、
色んな意見があってこその民主主義なのかもしれないが、
どこかメディアや大衆はスーパーヒーローを待望している、
そんなヒーローなんておりゃせんのに、
完璧なリーダー像をイメージしてしまっている???

もしそうならば、まるで虎視眈々と・・・表現は違っていそうだが・・・
スーパーヒーローの出現を無自覚にも待っているのならば、

最初の印象で、そんな感じの政治家が現れたら、
一気に、怒涛のように、そこへ流れ込んでいきそうな・・・

まるで梅雨の末期の激雨のような・・・

小泉純一郎は、それに近かったのかもしれません。

なんか、バランス悪いよなあ・・・今。
  1. 2010/07/21(水) 16:50:58|
  2. 品のある本音
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菅総理の消費税発言、及び日本の政治家

消費税発言が参院選の敗北理由ではないと僕は思いますが、
そうならば、菅総理が「明確な意思」をきちんと示していたら、
結果は少し違ったかもしれません。

とにもかくにも「やるんだ!」「やらねばならんのだ!」という
意志を感じひんなあ、日本の政治家に。

意志は、それまでの知識、経験、ビジョン、目的などが
どれほど本気なのかによって固まるように思います。

使命感を感じてるんやろか?、菅総理及び歴代の首相は。

G20に出席して、財務省の官僚に
「日本もギリシャのようになる」と吹き込まれ・・・
いや、違うな、話を聞かされ、
「こらえらいこっちゃ!」と首相は感じた、
しかし、何故あのタイミングやったんやろう?

「税金を上げる話を国民にして唯一選挙に勝利した歴史的総理」
なんて自分を思い描いたのでしょうか?

意志ではなく功名心?
国家存続こそが日本国民のためである!
なんて考え方ではないのやろう・・・

ん?
どうなんでしょう?

僕らは余りに「平和な国」に暮らしてきたために、
「国家なんていらん」「国民がいればいい」というような
感覚になってはいないのやろか?

国あっての「国民」であるのは間違いありません。
国がなかったらかなり惨めです。

国がなくともよその国で生きていける、活躍できる才や
人脈があればええですが、そういうものを殆ど持たない、
多くの普通の人々は、どこにもいけない。

パレスチナの人達を気の毒だと思う。
イスラエルの国民も実は可愛そうなのかもしれない。

ずっと続く争いの理由は複雑で、
僕などには分らないけれど、
少なくとも「国家が機能」してれば、
国家がない、機能していない状態よりはマシそうです。

南アフリカは色んな問題を抱えています。
W杯をなんとか成功させ、「国家」として成立しているように
見えたけれど、その実はどうなんやろう?

権力と金が一部の者に集中しているところもありそうだし、
やはり教育を受けることができた者、
それなりに裕福だった者がさらに裕福にあっていそうだ、
或いは、腕力のあるやつが裕福になっていそうです。

「国家」とは、なんなんやろ?
なんて根本的な話をちゃんとして、
日本国民が、自分と国家の関係をリアルに考えられるようにならないと、
大衆迎合なだけの政治が続いていきそうです。

それは政治を面倒くさいと感じている僕にしても、
そして国民にしても幸福なことではないように思います。

「国家観」を持っていないと政治家を批判するのは簡単ですが。
「国家観」を議論し出せば、それこそ日米安保のあり方も変わる。

自前の軍隊で国を守る、という日本以外の国にとっての常識が
目の前にやってくる。

だから、そんな面倒くさいことは避けて、アメリカの傘の下の
心地よさに甘んじていたい・・なんてのが本音ならば、
それは姑息で卑怯な国民しか生み出していかないでしょう。

いや、それは国民としてなんて話やなくて、
まさに人間としてしょーもない人間しか生まれなくなります。
そんな人間が闊歩する、しょーむない胸を張って歩く国、社会、街・・・
想像したら吐き気がしてきそうです。

こんな話も、やがて「そんな社会」に麻痺し、
同じように僕も胸をはって、しょーむない顔付きで歩くように
なっているのでしょう。はぁぁぁ・・・。

いやいや、それが嫌だから、
このままでは嫌だ、と思う気持ちがどんどん膨らむわけです。

「意志」を持った政治家が、
表向きは、ええ顔をして実は腹では違うことを考えていて、
着々と「その意志の実現」に向けて総理の座に着いた・・・
なんてことが起こったら・・・いや、時々に起こってきたのかもしれない。

ならば「意志」の中身を問わなくてはいけません。
その役割を担うのがジャーナリズムでありますが・・・。

「消費税は是か非か」

「このままではどうにもならなくなる」なんて不安を煽り、
仕方なく消費税を上げました・・・なんて道はやめて欲しい。

「消費税及び日本の税体系」を「このような目的とビジョン」でもって
変えていくのだ、という意志を、計画を、示し議論してもらわんと、
なんとなく・・・なんてあまりない情緒的な、非合理的な、
そんな曖昧すぎることで、ええ未来がやってくるなんて、
ありえやせん。

意志とは、合理性であるとおも僕は思います。
「ブレ」は、考えが浅く、だから情緒に流され翻弄される、
ならば、例えば僕が、この先何かをしようとしたとき、
この言葉を常に胸に刻んでおきたいと思う。

ええ、もちろん僕は政治家には向いていないのでやりません^0^
自分の人生について、
「これをやらねば!」と思える、ささやかな行動・・・
そんな行動がとれるだけで幸せなことなんだと。

「やらねば!」が「やりたい!」に勝る力でありますように。


  1. 2010/07/20(火) 12:08:40|
  2. 品のある本音
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保守完敗!?

僕は「保守派」であろうと思います。
「保守派」とは、日本の歴史に立脚し、
過去を肯定し受け入れ、学び、そこから未来を創造していく、
変革していくことを基本的な考えにしている人達・・・

と、ざくっとしてますが、僕はこう解釈しています。

逆に「革新派」とは、過去を、これまでを否定し、
新しいことを行うことで変革していこうと考える人達・・・

大雑把ですが、こう解釈しています。

「このままではいけない」と考えたとき、
これまでやってきたを完全否定し、新たなやり方で打開していく、
それは企業においてなされたとしても、
かなりの混乱、或いは、新しいことが正しいかどうかを見極めるには
時間の経過を待たなければ分からない、というリスクを背負いそうです。

一時、利益が大幅に改善したとしても、
それは多くのリストラ、コストカットという犠牲に上に成立したことで、
それで「企業体力」を回復し、新たな事業展開へ・・・というこに
なるのでしょうが、切り捨てられた人達は少なくない。

じゃあ保守派ならどうするのか?ということになりますが、
少なくともアプローチの仕方は変わる。

急激な業績回復を最重要と考えるのではなく、
そのために、どう企業体質を変えていいくか、
少し時間はかかっても、これまでの歴史を大切に、
これまでやってことの良かったところを肯定し、
その上にたって変革を全体で共有していく、
それが利益第1主義のような革新的経営者による、
ある種の「破壊」から「創造」というような、一見、
かっこよさそうに見える論理ではない。

利益が1番ではない。
企業としてどう成り立っていくのか、社会との関りも含め、
どう「いい企業」として存在し続けるか、
それが第1の目的のはず。

そしてその結果、利益が付いてくる。
僕は、こういうアプローチをやはり是としたいし、
そうやってもきたつもりでもあります。

とまあ、企業になぞらえてはみたものの、
ややボヤっとした話になってしもうたなあ^^;

保守は守旧的になってはいけないし、
革新は過激では困る。

どちらでも「国民のための政治であればいい」という考えが
ほぼこの国を覆っているとは思いますが、
極は「革新派」に対して油断をしてはいけないと思ってます。

何故なら、「革新派」の基本は現状の打破・・・というより破壊・・・
と言ってもいい理念を持っている、少なくとも捨ててはいない。

夫婦別性にせよ、外国人への参政権の付与にしても、
そらね、もっと議論すべき話。
それをせず、バタバタっと、政権を取ったから決めてしまえ、
なんてことでは乱暴すぎる。

歴史はただ教科書で学ぶような、過去を振りかえるものだけではありません。

積み重ねてきた意味こそ問われるべきで、
積み上げてきた土台があるからこその日本で、
そこにもっと目をむけるべきだと僕は思います。


  1. 2010/07/16(金) 12:57:49|
  2. 品のある本音
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選挙終了!

「政・・・まつりごと」とはよう言うたもんで、
メディアも上げての「お祭」感・・・いつものことやが。

さて今回の選挙。
こういう結果は国民の絶妙なバランス感覚・・・なんやろかい?

それにしては、戦前の予想通り。
「民主党過半数割れ」が的中。

自民党が勝利した理由とは?
いや、評論家が語るような理由ではなく、
結局、大政党に投票するしか民意を反映できない・・・
2大政党政治に我が国も向かうのだといわれて
どれくらい経ったのか。

しかし、それは「刷り込まれて」きただけの話で、
国民が2大政党制をどこまで理解しているのかなんて
心もとない話のように思う。
もちろん僕は理解していない。

そもそも日本人に2大政党制なんて似合うのやろか。
2つの大きな政党が、政権をとったりとられたりするより、
それなりの規模の政党があり、小さな、しかし、
コンセプトが明確な政党があることで、
「絶妙なバランス」を産み出すのではないやろか。

今回、「たちあがれ日本」「創新党」という、
いわゆる「保守派」の党に全く出番がなかった。
いわゆる革新系の共産党にしても現状維持、社民党にしても。

僕は保守派を支持するけれど、
もうちょい保守派の立場が強くならないと、
バランスが悪いように思う。

民主党や自民党のように、
保守・革新両方の考えが曖昧になって存在しするのが
これまでの日本人的バランスのとり方だったとするならば、
明確な考えをもった党が鬩ぎあうことで生まれるバランス・・・

それは時にアンバランスを作り出すことがあっても
それを恐れては結局、曖昧なまま、動き難い社会、
物事の本質が隠された社会になるような気がするのだ。
  1. 2010/07/12(月) 17:00:34|
  2. 品のある本音
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民主主義はクソかもしれないが

クソであったとしても関り続けるしかない・・・
それも「選挙」という、権利なのかどうかわからん「力」を
行使しつづけるしかない。

そもそも「被選挙権」は、権力側から辛うじて与えられた程度のもの、
と最近思ってしまうなあ。

「権利」という言葉になんや「そうかいな」と納得してしまうけれど。
「権利」と言えば意見も通るかのような・・・それは錯覚やないのかな。

・・・おっと時間が^^;
続きはまた。
  1. 2010/07/08(木) 15:44:51|
  2. 品のある本音
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